院長 永濵の7年間毎日続く腰痛闘病記録①

慢性腰痛をどのように解決させたのか

 

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。

【名古屋 自律神経調整 体と心の専門家】

ながはま治療院 腰の駅みずほ 院長 永濵です。

以前からLINE友だちの皆さまに
お伝えをしていたこと、
私が7年間毎日続く腰痛に
もがき苦しみ、
どのように解決させたのかについて
書いていきたいと思います。

今回は第一弾ということもあり、
どのような経緯で腰痛を発症したのか
中心な内容となります。

私が初めて腰痛を感じたのは、
専門学校の最終学年で、21歳の時です。

私自身、学生時代はサッカーに明け暮れ、
幸いにも腰痛を経験したことはなく、
まさか社会人になってから2,555日間
毎日腰痛に悩むなんて思ってもみませんでした。

たまたま生まれた地域がサッカーが盛んだったこと、
それに加え、
叔父がプロサッカー選手だったことも重なり、
必然的にサッカーをしていました。

※中学は伝統校が故に上下関係がとても厳しく、
3年間坊主でした。その他にも厳しいルールが...(-_-;)

 

サッカーを通じて、様々な恩恵を受け、
それがキッカケで
治療家になった経緯があります。
 

 

そして、専門学校の最終学年は
国家試験合格に向けての猛勉強に加え、
スポーツデポで週3のアルバイト、
東海学園高校サッカー部で週4のトレーナー
週休0日の充実した日々を過ごしていました。

確かこの時は、あまりのハードさに
体重が7キロも瘦せながらも
何とか若さで乗り切っていました。

特にトレーナーの仕事は、やりがいがあるものの
非常にハードで、平日は学校帰りに
車で稲沢市から天白区の原まで移動、
そして、選手のリハビリやケアをし、
帰宅するのは22~23時でした。

また、土日は朝5時起きで、
昼ご飯はほとんど食べれないので
朝からコンビニのデラックス弁当を食べていました。
そして、部員が100人以上いたため、
休みなしで、リハビリやケアのサポートをし、
帰宅するのは22時だった記憶があります。
 

 

今、冷静に振り返っても
疲労は蓄積するばかりで、
それに加え、栄養も乱れていて
腰痛になるのも無理はないと感じます。

そして、体重7キロ減少の他にも
今は覚えていませんが、
おそらく、様々なSOSサイン
体や心が発してと感じます。

これらのサインを無視してしまったことを
今でも申し訳なく感じます。

この時の腰痛は、毎日痛く感じるのは
当たり前になっており、
幸いにも仕事中は支障なく出来ていました。
そして、無事に国家試験に合格後は、
鍼灸接骨院に就職しました。

なぜこちらの職場を選んだのかというと、
寮を格安で提供してくださるからです。
それには親元を離れたかった想いが強くありました。

そして、週7日の勤務は変わらず、
平日は鍼灸接骨院で勤務
土日は東海学園高校サッカー部でトレーナー
と相変わらずハードに日を過ごしていました。

また、この頃から一人暮らしが始まったことで、
食生活は一気に乱れ、
朝はスティックパンと野菜ジュース
昼は、ラーメンか牛丼などの外食+缶コーヒー
夜は、お米だけ炊き、おかずはスーパーのお惣菜+アイスクリームでした。
 

画像の説明

 

そして、お風呂洗いが面倒なことから
湯船には浸からず、シャワーだけの生活でした。
 

 

それに加え、
社会人1年目ということもあり、
鍼灸接骨院での人間関係にストレスを感じていました。

また、トレーナーの方では、
監督やコーチの皆様は、
教員という立場ではなく、
サッカーだけで契約しているということもあり、
国家資格を保有したことで、
仕事への要求が高くなったのを覚えています。

当時はプレッシャーや焦りを感じていましたが、
今思うと、プロ意識の高さを教えていただいた
貴重な経緯だったと感じています。
 

 

実は、この時から
就寝時にも腰が痛むようになり、
寝返りするたびに痛みで起きたり、
そして、朝一番に痛みで目覚めるのは
一日の始まりがブルーな気分で憂鬱になっていました。

そんな中、治療家として患者様をサポートする中で、
患者様はどんどん良くなっていくのに
自分の腰痛を取り除けないことに焦りを感じ、
あらゆるテクニックを学ぶためのセミナー通いが始まりました。

まさか、このセミナー通いが
さらに腰痛を慢性化させるとは
当時は思ってもみませんでした...。

②に続く...

最後までお読みいただきありがとうございます。

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