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院長プロフィール
治療家になった経緯からお話できたらと思います!
良かったらお付き合いいただけたら幸いです。

サッカーに明け暮れた学生時代
生まれた地域がサッカーが盛んなこと、叔父が名古屋グランパスエイトのプロ選手(Jリーグ開幕創成期)だったいうこともあり、必然とサッカーに打ち込んでしました。
キャプテン翼の「ボールは友達」という言葉があるように、私も1年の内の360日はボールに触れていた記憶があります。
そんな中でも度重なる怪我があり、その不調を診ていただくために鍼灸接骨院に通い、助けていただきました。
そして、それと同時に治療家さんの技術とマッサージの心地良さに惚れ込んでいました。
※足首捻挫、オスグット膝、腰痛、手首捻挫等、様々な怪我をしました


治療家を目指すきっかけになったDVD
高校時代の2002年にサッカー日韓ワールドカップが開催され、その熱気に私も巻き込まれていました。
初の自国開催でベスト16!
今でもその記憶が残っています。
そして、ワールドカップ終了後に、日本代表の激動の裏側に潜入したドキュメンタリーDVDが発売されました。
それが「六月の勝利の歌を忘れない」。
この映像の中で、トレーナーの方々が選手達に施術を通して献身に支える姿があった。
そして、選手もピッチで見せる顔とは異なり、たわいもない話や悩み事の相談をしていた。
これを見た瞬間「これだ!」と思い、
自然と、どうしたらこんな風に選手を支えられるようになれるのかをネットで調べていた。

いざ専門学校へ入学
愛知県の鍼灸マッサージ専門学校の中でも一番歴史のある中和医療専門学校へ入学。
毎日名鉄電車に乗り、稲沢市の学校まで通学していました。
入学して驚いたことは、年齢層の幅広さ。
下は私のように高卒から始まり、大卒の方、脱サラの方、一番上は定年退職後の方がいたことです。
たまたま私のクラスは、約8割が年上の方で、社会人経験がなかった私にとっては、皆さんの経験が新鮮で、色んな遊びを教えていただきました。

鍼灸接骨院の勤務とトレーナーの二足の草鞋
無事に鍼灸師とマッサージ師の国家資格を取得し、最初は鍼灸接骨院へ勤務しました。
それと同時に、元プロサッカー選手だった叔父からご縁をいただき、週末は東海学園高校サッカー部でトレーナーとして活動し始めました。
充実した毎日を過ごしながらも、仕事はハードで、もちろん休みはなく、週休0日が4年も続きました。
そして、体重は40キロ台まで落ち、20代前半にして重度の腰痛にみまわれました。
今振り返ると、疲労,ストレス,悩み,エゴ,栄養の偏り,睡眠障害など色々な事が関わっていたなぁと感じます...。
そんな中、トレーナー活動を通して、インターハイの全国大会、冬の全国高校サッカー選手権に帯同する経験ができました。
また、100人以上の部員をいかに平等に、効率よくケアをする大変さを学びました。
開業への道
鍼灸接骨院とトレーナーの勤務をする中で、日に日に臨床経験が増え、自分自身でも技術力が高まっていることを感じていました。
そして、時間を見つけては、東京・大阪・福岡にセミナーや研修を受けに行き、技術の研鑽に努めていました。
そうする中で、自分自身のスタイルや理論ができ始め、それをフルに発揮できない現状に悩んでいました。
そして、鍼灸接骨院の退職を考えていたタイミングで、東海学園高校サッカー部から常駐のオファーをいただきました。
治療家になったのはサッカー選手に携わるため、しかし、自分のスタイルや理論はこの環境ではできない。
色々と悩んだ挙句、自分で開業する道を選びました。
そうして、平成24年9月にながはま治療院を開業しました。
ピンチはチャンス!
患者様のサポートする仕事につきながらも、自身の不調を取り除けない事に治療家として焦りを感じ、あらゆるテクニックを学ぶためセミナー通いを始め、気が付けば7年もの歳月が流れていました。
カイロプラクティック、オステオパシー、ホメオパシー、心理療法など、気付けば何千時間数百万円の時間と労力を費やすも、自身の腰痛は慢性化するばかり…。
もっともっと、患者様と自分自身が、楽になる完全解決の道は無いのかと悩み、『崖っぷち』に追い込まれていた時に「サイト理論」に出会う。
ここからが人生の転機となり、面白い程に人生が好転していく。
「サイト理論」の実践に取り組みはじめ、自身の腰痛をスッパリ改善できたのを機に、腰痛専門の「腰の駅みずほ」を併設する。
苦しんだ経験から的確な施術ができる!と、好評いただいたり、スポーツトレーナーの経験を生かしスポーツ選手やイップス治療も得意とし、関東や関西地方からも患者様がお越しくださっています。
そして、今もなお、治療の探求を続けています。
保有資格・免許
●あん摩マッサージ指圧師(国家資格)
●はり師(国家資格)
●きゅう師(国家資格)
●腰の駅マイスター(認定施術所)
●サイト純金杖セラピスト・認定講師
●ながはま式イップス解放術 考案者(特許庁登録)
その他民間資格・テクニック資格多数保有
永濵 克幸のちょっとした情報
●1987(昭和62)年6月生まれ
●愛知県名古屋市出身
(顔のホリが深いのは父方のルーツが鹿児島県徳之島だからです)
●血液型 O型
●家族 妻子との共同生活
(治療院の2階・3階が自宅です)
●趣味 自然地巡り、サッカー観戦
院長 永濵の想い
ここまでご覧になられているあなたは、きっと何かしらの辛い症状をお持ちで、症状が緩和、軽減される施術院をどうやって選べば良いのかお困りになっているのではないでしょうか?
痛みや痺れの治療を始めて以来当院にはずっと、辛い症状をなんとかしたいと、毎日、遠方から多くの患者様がいらっしゃいます。
来院されるのは主に投薬治療をしても、骨格矯正をしても、電気治療をしても改善されなかった方々です。
「整形外科では薬を処方されるだけで、何も改善されませんでした。」
「接骨院に行っても10分の電気と5分のマッサージで、翌日には戻ってしまいます。」
「筋肉をつければ治ると思っても一向に変わりません。」
その言葉を耳にする度に、私は何とも言えない強い憤りを感じます。
なぜ、もっと早くこの人に出会えなかったのだろうか?と。
「私なら、体と心に寄り添って、症状を緩和させることができるのに!」
こう感じるたび、この手法を届け切れていない自分自身にももっと広めなくては、という想いと義務感を感じます。
当院の願いは、「ひとりでも多くの苦しんでいる方が、痛みや痺れによる辛さや不安から解放され、笑顔で日常生活が過ごせる状態を取り戻すこと」です。
多くの治療院がある中で縁あって当院をお選び頂き、治療のために来院された患者様に、何としても元気になって頂きたいという『想い』を強く持っています。
今まで治療させて頂いた多くの患者様の感想の通り、病院や他院では補えない範囲の施術を提供するのが当院の使命です。
プラトンは教えてくれています。
「医療の犯した最大の過ちは、体を診る医者と心を診る医者を分けてしまったことだ。体と心は分けられないのに...」と。
心と体の両方を診ることができる治療院としては、腰痛治療に関してはどこにも真似できない実績と経験があると自負しております。
そして、患者様にとって最善の施術、自分自身が思う理想の施術を追い求め日々精進を続けております。
体と心の専門家として、名古屋で一番「どこに行っても改善しなかった症状が治った!」というお喜びの声で溢れ続ける施術院としていられるように心からサポートを続けます。
当院は、本当に治るんだろうかという患者様の不安な気持ちを正面から受け止め、真摯に向かい合い、全力の施術を提供する治療院です。
痛みや痺れなどの不調でお困りでしたら、ぜひ当院にお越しください!
メディア出演・雑誌掲載
Amazon イップス電子書籍
院長 永濵がもう一つ専門にしているのがイップスへの施術です。
全国でも数少ない専門家です。

※Amazonアカウントをお持ちでない方向けに、電子書籍の内容を印刷した冊子も販売しております。
下記サイトのクレジット決済にご入力頂いた住所へ郵送しますので、お間違えのないようお願いいたします。
(56ページ / 送料込み680円)
地域スポーツ情報誌「Standard愛知」掲載

MID-FM TSUBASA ゲスト出演
